ONE YEAR 01
(アキラサイド)

16才の時に僕達が犯した過ち。

北斗杯が終わった頃、僕とヒカルはお付き合いを始めた。
熱くなりやすい僕達が、そういう行為をするようになるまでには、そんなに時間はかからず、16才の時に妊娠発覚。

両親に報告した時、生むことを反対されるとは思ったけど、まさか、あそこまで烈火の如く反対されるとは思ってなかった。
特に母が大反対で…。
それまで、母は僕の意見を否定したことがなかったから、驚かれるとは思ってたけど、あそこまで反対されなんて予想外で…。
進藤の方も両親が大反対で、僕の両親にひたすら謝っていた。

その後、話し合って幾つか条件が出された。

子供は親戚に養子に出す。
ヒカルと別れること。
ヒカルと一生会わないこと。
ヒカルが東京から離れること。

それでも棋士という職業上、いつどこで会うか解らないと考えた父は、ヒカルを所属を関西に変えた。
イベントは当然だけど、対局も極力僕と対戦しないようにてを回したりして…。
重鎮としての力を、こんな所で発揮するなんて。

当時の僕達は父の提案を跳ね返す力はなく、提案を受け入れるしかなかった。

一生会えないとは可哀想だと、森下先生や桑原先生、子供を育ててくれる親戚もあって、1年に1度だけヒカルや息子に会うことを許された。

子供を養子に出した親戚夫婦が良い人で、僕達が3人で暮らせることを願ってくれていることが救いだ。

「どうしても、塔矢と結婚して子供と一緒に暮らしたいなら、態度と行動で示せ」

森下先生に言われたヒカルは考えて、僕に宣言した。

「ともかく7大タイトル制覇して生活安定させて、もう1度挨拶に行くから待ってて」

そう言って、進藤は旅立って行った。

僕だって社会に出て働いてるから、ヒカルに会いに行くことも出来たけど。

「もし両親に知られて更に拗れたら不味いから止めろ」

ヒカルに止められた。





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そして、10年目の7月。
今年もヒカルや子供に会える日が来た。

「久し振り元気だった?」
「お前こそ元気だったか?」

1年に1度子供の誕生にだけ会うことが許された僕等。

「早く昇会いに行こう」
「うん」

10年経った今、大反対理由が解る。
マスコミに知られたときのこととか全く考えてなくて、僕達は色々甘かったんだ。
ヒカルが7冠になるまで、あとタイトル1つ。

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